ノルウェイの森 下 (講談社文庫)のレビュー
読者が自分で翻訳する本
村上春樹はすごい作家だと思いました。平易な読みやすい文章は象徴的で、意味を読者に委ねる空間が空いているような独自の世界。まるで翻訳しているような気分になりました。ここからは、私なりの翻訳。
スプートニクの恋人ではあちら側の世界としていたものが、この作品では直子の療養施設の近くの森にあるという架空の井戸穴であり、直子は結局そこに落ちてしまったのかなと思います。(スプートニクでは、あちら側は"ここではない別の"世界として描かれており、意味は少し違うと思いますが)
無駄に多いとされる性行為の表現に関しては、心と身体が深いところで共鳴するようなものに関しては、それは生を意味しているのではないかと思います。生は、生々しいものだからです。直子の身体は、本能は、生きることを望んでいた。だからこそ20歳の誕生日に、直子の身体は"井戸に落ちないであろう"僕を求めたのではないでしょうか。
ですが、愛するものを失った哀しみは、残されたもののなかに死の種を植え付けます。直子のなかにある死はあまりに深く、癌細胞のようにその進行を止められなかったのでしょう。
直子と対照的に描かれているのが緑ですが、彼女もまた両親を亡くした死と縁が深い人物です。ですが、彼女は自分のなかの死に対処し、生きる意思をもって生きています。
僕は緑と直子、生と死の世界の境目を行ったりきたりし、最後は緑を選びますが、直子は死に、あとには深い喪失感と井戸穴のある風景が残ります。
現在の僕は、文字通り、死を自分のなかにしまい込みながら20年の歳月を生きてきたでしょう。どこまでも深く暗い穴のある井戸の、場所を確かめながら。それは、見えていれば落ちないから。
スプートニクの恋人ではあちら側の世界としていたものが、この作品では直子の療養施設の近くの森にあるという架空の井戸穴であり、直子は結局そこに落ちてしまったのかなと思います。(スプートニクでは、あちら側は"ここではない別の"世界として描かれており、意味は少し違うと思いますが)
無駄に多いとされる性行為の表現に関しては、心と身体が深いところで共鳴するようなものに関しては、それは生を意味しているのではないかと思います。生は、生々しいものだからです。直子の身体は、本能は、生きることを望んでいた。だからこそ20歳の誕生日に、直子の身体は"井戸に落ちないであろう"僕を求めたのではないでしょうか。
ですが、愛するものを失った哀しみは、残されたもののなかに死の種を植え付けます。直子のなかにある死はあまりに深く、癌細胞のようにその進行を止められなかったのでしょう。
直子と対照的に描かれているのが緑ですが、彼女もまた両親を亡くした死と縁が深い人物です。ですが、彼女は自分のなかの死に対処し、生きる意思をもって生きています。
僕は緑と直子、生と死の世界の境目を行ったりきたりし、最後は緑を選びますが、直子は死に、あとには深い喪失感と井戸穴のある風景が残ります。
現在の僕は、文字通り、死を自分のなかにしまい込みながら20年の歳月を生きてきたでしょう。どこまでも深く暗い穴のある井戸の、場所を確かめながら。それは、見えていれば落ちないから。
喪失の哀しさ
この作品には精神を病んだ人が何人も登場し、自殺しています。なのに、不思議なことに読後苦々しさはなく、哀しさを感じるのみです。これは村上文学の特徴だともいえるのでしょうか。これを読むと自分が若かったころを思い出し、たとえその時どれほど楽しかろうが苦しかろうが、過ぎ去った過去でしかないという感傷的な気分になります。青春時代を 思い出したい方におすすめします。
期待以上でした
映画化を前に一度読んでみようと思い購入。純愛物語と聞いていましたが、なかなかどうして大人の内容。中学生の子供がいるのですが、性に対する理解の入り口にいる時に読むととても良いなと感じました。
村上春樹はこれだけじゃないよ!
20年ぶり位に読みました。楽しかった。村上春樹はこの『ノルウェイの森』が初めてだったのですが、その後『風の詩を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』そして『グレートギャッビー(村上春樹訳)』と読んできました。
レビューを見ていると、理解不能だとか、面白くないだとか言う意見も結構あって、人それぞれだなぁと感心しました。一度デビュー作から読んでみてはどうでしょう。案外面白くなると思いますよ。
レビューを見ていると、理解不能だとか、面白くないだとか言う意見も結構あって、人それぞれだなぁと感心しました。一度デビュー作から読んでみてはどうでしょう。案外面白くなると思いますよ。

初めて読んだ時から、何度読んでも、何年経っても好きだ。
初期村上作品に登場する「僕」と同じ性格であろうと思われる「ワタナベ」と「直子」、そして「緑」との若き日々を記録した物語。
どうしてこれほど、この物語が若い頃から私の心に居着いて離れないのだろう。
それも性的な描写がふんだんに盛り込まれているにもかかわらず。
まずは、登場人物のキャラクターに依るところが大きいのだと思う。
この物語以前の村上作品には、とにかくクールな人物ばかりが登場し、やや浮世離れしていた感はある。
しかし、「ノルウェイ」ではみんなが生きている。
特に「緑」の生へのエネルギーは読む者を快く圧倒する。
静的で内向的な「直子」とは非常に対照的であるところが、物語を面白くする。
その間で「ワタナベ」は揺れ動く。
こう端的に書くと、若者がただ二人の女性の間を揺れ動くだけの物語になってしまうが、まったく違う。
これ以上深く書くとあらすじになってしまうのでやめておくが、そんな薄っぺらい話ではない。
故にあれから20年近く経った今読んでも心を打つ内容なのだ。
なぜなら
それは、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
このテーマが、この小説の頭から最後まで一貫して色濃く流れているからだ。
だから、悲しいほどに物語の中の「性」的な描写が「生」の象徴として違和感なく流れていく。
改めて読み返して、この本からも自分は影響を受けていたことをまた見つけてしまった。
数年前まで、酒のツマミにピスタチオを好んで食べていたのは、そういえばこの小説の影響だった。